以前、noteで公開した同名の記事を加筆修正したものです。
転売。それは買ったり買い取ったりした物をさらに他に売り渡すこと。
無論、値段によってはモラル的に悪だろう。やっていることは単なる横流しだ。これが多少色をつけて余った分を売るならそれは単なる不用品の処分であろう。
しかしだ、それを大量にかつ暴利で売ったらどうか?はっきり言って人間の所業とは思えない。ただただ需給を壊しているだけだ。
2003年、北海道の人気ローカル番組「水曜どうでしょう」は「グッズがオークションに出品されています。手を出すのは悪いことでしょうか?」という質問に、このように回答していた。
わかりません。ただ、構造としてはひどいものだと思う。結局は、うちが皆に迷惑をかけているのだろうがHTBは小さな会社だから大きなリスクは負えない。だからどうしても数をぎりぎりまで読んで、その中の一番小さい数にとどめてグッズの数を決める。それは限定販売にして市場の購買意欲を煽ろうという魂胆があってのことではない。けれども、ふたを開けてこちらの思惑に反して市場が沸騰してしまった時は数が足りなさ過ぎるということになる。そういう「リスクを負えないHTBの弱小さ」がつまりはネットオークションでとんでもない値段を付けられる遠因になっているのだろうと思う。関係者は毎回、苦労をして、でも完成の喜びと共にその品物を市場へ出す。買い手の反応を思ってドキドキしながら、でも喜ばれれば、関係者一同制作時の苦労も忘れて素直に嬉しくなる。オークションで高値が付いているのに買ってくれるという気持ちも嬉しくないわけではない。でも、そこにいる、ただ、品物を右から左に流すだけで利益を得る、その者の存在が厭だ。その者がいる限り我々の物作りとみんなの熱い支持が食い物にされる。それが厭だ。
水曜どうでしょう official website「よくある質問」
https://www.htb.co.jp/suidou/faq/
2000年代当時からローカル放送ながらも全国的な人気番組として、番組グッズがオークションサイトで転売され続けた。
インターネットオークション黎明期という中、今よりかは転売という社会問題が薄い状態での意見である。
品物を横流しするだけで利益を得る者が存在するというのは、やはり気持ちが良いものではないことを記している。
ただ、ファンのために作った商品が高値で取引されたというのは決して負の感情だけではないことも示唆している。
経済的観点で見てみたい。
経済学では、需要が供給を上回る場面で価格が上昇するのは自然な現象であり、それを利用して利益を得るのはビジネスの一種である。株取引なんかもそうだ。
また、入手困難なグッズや(自分にとって)当たりのトレーディンググッズをネットで手に入れる手段として、転売が役に立っている場合もある。
現実問題、転売は需給調整の役割も果たしている。例えば、転売された額で多数取引されているのであれば、その値段でも正規品を購入していたということの裏返しでもある。需要は発売前には見えない。だからこそ値段を上げ下げして調整するのが常であり、日用品などはそのようにして需給を調整している。
しかし、普及をさせたい商品に対しては毒でしかない。
例えば、ゲーム機はハードをぎりぎり利益が出る価格で売ってから自社が開発したソフト(例:任天堂ならマリオやゼルダ、ソニーならグランツーリスモなど)を売って利益を確保することが多い。しかし、転売屋によるハードの買い占めがあれば、ソフトが買われずに、その収益が水泡に帰してしまう。経済全体では動くお金は減ってしまうに違いない。
スポーツのチケットもそうだ。野球なら3~4万人、屋内スポーツなら1万人ほどしか見ることができない。しかし、転売屋が何枚も買い占めたらどうか?その席が空いてしまい、飲食やグッズといった物販の売り上げが落ちてしまうことは確かだ。さらに、転売に使われた席が空席になることで人気がないと思われてしまうこともある。やはり、スポーツ興行にとっては毒だ。
もっとも、チケットの高額な転売は法律で禁止されている。正規のリセールをおすすめしたい。
転売もまたビジネスという主張もある。広義ではさまざまな取引も転売と言えるかもしれない。
しかし、モノを横流ししただけで利益を得る者がいるのはやhり癪な話であるし、そういう人らにコンテンツに対する愛はないだろう。愛が無いものにコンテンツが意味もなく消費されるのが一番の問題なのかもしれない。
受注生産や購入者の制限など、転売に対する対策は行われているが、これもまた、コストがかかってしまう。値段高騰の原因の一部は転売による規制づくりもあるはずだ。
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